精養軒の時代

精養軒の時代

開国した日本には、西洋人相手の宿泊施設が必要になりました。

 

明治新政府は、江戸における外国人居留地であった築地に、最新式のホテルを建設することにしました。このホテルは、当時の欧米のホテルよりも立派なものだったと言われています。「築地ホテル館」といい、レストランの料理長は本場フランスから招かれました。彼の名はルイ・ベギューといいましたが、かなり腕の良いシェフだったようです。

 

明治政府は、西欧列強に対して強い外交をするために、欧米の賓客を招いて応接できるだけのホテル、そしてレストランを建設する必要があったのです。その一環として、1871年に築地に開業したのは、「築地精養軒」でした。このホテルのレストランもまた、フランス料理の店であり、初代の料理長はスイスから招いたカール・ヘスでした。当時の日本では最高峰の西洋料理の店として、非常に高い評価を受けました。

 

しかしこの2軒は双方ともに明治5年に火事で焼失してしまいました。

 

精養軒のほうはその後再建され、その後の日本の料理界に大きな影響を与え続けます。

 

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