出島における西洋料理

出島における西洋料理

江戸時代に至るまで、日本では、部分的に西洋料理が入ってきてはいましたが、時の政府によってそれらが公に受け入れられることはありませんでした。仏教思想における肉食の禁止が主な理由ですが、この禁止が解かれるのが、奇しくも文明開化の明治時代なのです。

 

江戸時代の日本は鎖国状態であり、外国の文化が入ってくる窓口は限られていました。その窓口は長崎の出島であり、そこでだけ、唯一貿易が認められていました。つまり、そこだけ、この時代の日本にあって外国の文化が存在することが許されていたのです。

 

駐留する外国人向けに、当然西洋料理を供する必要があります。メインのコックはもちろん、西洋人でしたが、しかし、その下働きとして、西洋料理の技術を学んだ日本人はいたようです。ただし、もちろん高いレベルの、本格的なものになるのは難しかったようです。そもそも、本場の食材が容易に手に入るような環境ではありませんでしたから、限られた料理しか作れなかったようです。