日本式洋食の萌芽

日本式洋食の萌芽

現在、牛鍋はすき焼きとして食されていますが、この手法が整ったのは、神戸の元町にある「月下亭」においてであると言われています。つまり、まず関西において、すき焼きの基本は生まれたのです。そこから、関東にも伝わったというわけですね。

 

西洋の食事スタイルが大衆化した舞台は、神戸をはじめとして横浜などの港街、そして大衆文化の中心地となっていた浅草や上野などでした。

 

横浜においては、牛鍋の元祖である「太田縄のれん」の他、「荒井屋」もよく知られています。浅草では、米久本店、そして今半本店などが特に有名です。牛鍋の流行ぶりはものすごかったようで、明治期にはなんと、都内だけで500軒を数えたと言われていますから、その熱狂ぶりが推し量れるでしょう。

 

牛鍋のように日本風にアレンジされた西洋食を、「和洋折衷料理」と呼び、この形のものは日本式洋食として、独自の発展を遂げます。外国人から学んだ西洋料理を、日本人になじむような形にアレンジし、それを提供するということ、そしてご飯に合うようなものにすること、これが、いわゆる日本式の洋食の生まれたきっかけだったのです。