鹿鳴館と藤田源吉

鹿鳴館と藤田源吉

明治政府による外交政策のための西洋化はとどまるところを知りませんでした。明治16年(1883年)には、文明開化の象徴として、鹿鳴館を開館します。鹿鳴館は日本ではじめての迎賓館であり、贅を尽くした宴会施設を持っていたことで知られています。

 

鹿鳴館の料理長は藤田源吉であり、彼はあの自由亭の草野丈吉と同様、オランダ公使館において外国人シェフの教えを受けた人物でした。

 

鹿鳴館のメニューは現存しているのですが、それを目にしただけでは、シェフはかなり腕の良い外国人であると思われるほどに、藤田源吉の料理のレベルは高かったようです。この時点で、日本における西洋料理の技術は、ピンポイントで見ればかなり高かったということが言えます。当然のことながら、外国人の賓客に対してもそん色のない料理を提供できていました。

 

鹿鳴館の存在により、日本において西洋料理の技術を身に着けたいと思う人間が増えたということも一方であります。同時に、西洋料理=フランス料理であるという認識もこの時代に広まりました。

 

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